被災した福島県への応援歌「I love you & I need you ふくしま」をリリースしたバンド「猪苗代湖ズ」の記事をゴールデンウィーク中に産経新聞に出しました。
携帯サイトなどからのダウンロード料金は、すべて福島県に寄付される仕組みで、YouTubeなどで47都道府県出身者が歌いつなぐバージョンを目にした方も少なくないかもしれません。シンプルな歌詞を聞いているうちになぜか涙がじわっと出てきてしまう、そんな歌です。
猪苗代湖ズのメンバーでクリエイティブディレクターの箭内道彦さんのインタビューで、感動的なお話を伺えたので、大変遅くなりましたが、主なやりとりを起こしてみました(言うまでもないかもしれませんが、事務所には許可をいただいています)。

《箭内さんは4月17日、「I love you &・・・」の続編ともいえる「予定~福島に帰ったら~」を、新ユニット「だっぺズとナンバーザ」名義で配信。5月7日には岩手県釜石市出身のミュージシャンあんべ光俊が歌う「予定~いわてに帰ったら~」、そして5月14日には「予定~宮城に帰ったら~」が配信されました。「宮城に~」には、ともに宮城県出身の脚本家、宮藤官九郎さんと俳優の中村雅俊が参加しています。6月1日には、ロックバンド「9mm Parabellum Bullet」のボーカル/ギター菅原卓郎さん(鶴岡市出身)によるシリーズ4作目「予定~山形に帰ったら」がリリースされています》
クリエイティブディレクター、箭内道彦さんとの主なやり取りは以下の通り。
――東日本大震災発生時はどこにいましたか
「川崎市にあるスタジオでテレビCMの撮影をしていました。揺れる度に外に避難していたので、収録が夜遅くまでかかってしまいました。福島に住んでいたころに、宮城県沖地震に遭遇しましたが、東日本大震災の揺れの大きさと時間の長さは生まれて初めて。会社を離れていたので、社員とメールで連絡を取り合って、全員の無事を確認しました。『なんかしよう』と思い、『何をすればいいかみんな考えて持ち寄るように』と社員に連絡しました。一晩寝て起きてみたら、すごくあせり出していました。とにかく何かしようと。でも、何をしたらいいのか分からなかった。物資を持って行ったらいいのか。避難所を訪問したらいいのか。無力感を感じていました」
――音楽の力で支援することはいつ思いついたのでしょうか
「震災の影響で僕のラジオ番組がとんだときに、『とんだときこそ何かを発信してほしかった』」とツイッターにつぶやきがありました。思いつきもしなかったので、ショックでした。いつもラジオとUstreamを並行してやっているんですが、発信するメディアがなくても、Ustがあれば、自分で発信できるはずだと気づかされました。『まず無力感を共有してみよう。どうしていいか分からないってことを言ってみよう』ということで、3月14日に松田晋二さん(THE BACK HORN)と渡辺俊美さん(TOKYO No.1 SOUL SET)がきてくれて、3人で持ち歌の『予定』を歌いました。福島に帰ったら何をするか言い合うという切ない歌です。テレビでもラジオでも音楽が流れていないときでした。自分でもCDを聞く気にならなかったくらいでしたが歌ってみたら、『歌なんか聞いちゃいけないと思ってたけど、歌声や笑い声を震災以来初めて聞きました』と歓迎されました。それで『やはり何かやりたいね』という話になりました」
――そこで、猪苗代湖ズでの活動が
「猪苗代湖ズは昨年から活動を始めていたのですが、山口隆さん(サンボマスター)が猪苗代湖ズでやろうと。節電に配慮して名古屋でレコーディングを始めました。17日から3日間かけて録音したらすぐに新幹線に乗って音源を持って上京しました。東京駅から直接、TOKYO FMのある半蔵門に持ち込んで配信を始めました。すごい早かった。音楽に何ができるかを試すには時期尚早なくらい早かったんですが、後になってほかのミュージシャンから『おかげで動きやすくなった』と声をかけられました。僕らは福島出身者という“当事者”だったから、やりやすかったのかもしれません。レコード会社は3社に別れていたんですが、僕がそれぞれの会社に電話を入れて強行突破をした。やめろって言われないような状態を作るのも、僕の仕事だと思いました。猪苗代湖ズを既成事実にして、支援者を増やしていこうとしました。重要なポイントでした。メンバーなのにプロモーターもマネージャーもしている状態です」

――録音しているときの雰囲気はどのようなものだったのでしょうか
「シリアスになりすぎてしまうと、できあがるものが被災者を安心させたり、第一歩を踏み出すきっかけになったりできないのではないかと思い、僕らは泣いたり、ピリピリしないようにしようと決めました。できるだけのんびりした雰囲気になるように。とはいえ、どうしてもピリピリしがちでした。まず、名古屋で録音することが東京から逃げているとみられないかということも気になりましたし、社員を東京に置いていくという心配もありました。でも、気持ちを切り替えないと、録音は無理だろうと話していたので、できるだけ考えないようにしました。当時、東京は東京で独特の不安に包まれていました。買いだめや停電などがありましたね。その中では、あの歌は歌えなかったかもしれない。前向きに希望を持てる歌にしたかったので」
――気持ちの切り替えはどのように
「レコーディングの合間に、近くの公園とかにいって、Ustして話せたのは大きかったと思います。ユーザーの反応で『楽しみにしています』とかいうのに勇気づけられたりしました。当時は、寄付しなきゃだめだと思っていて、銀行に『1億円寄付したいから貸してください』とか電話したこともありました。そんな相談もUstでして、みんなに笑われたりしたのもよかったかもしれません。4人で録音しただけじゃなくて、見守ってくれていた人たちが、ネットの善の部分も出てきていてつながっていた。Ustには慣れてないから、画像が止まっちゃったりするんですけど、ユーザーさんから『落ち着いて』とか『声だけの方がイメージが広がる』とか、フォローしてもらってとても救われました。『Ustの調子が悪いことでみんながひとつになれた』とか書いてくる人もいたりして。毎日集まってくれた人たちに励まされて、勇気づけられて、一人で戦っているんじゃないなんだ、と実感を持てたのがすごく大きかったです。パフュームのノッチがUst見ててくれて、『すごいと思う』と言ってくれて、どれだけ勇気百倍になったか。ウェブもそういうところにだけ使われていったら、本当に大きな力になるのになあと思いました」
――「I love you & I need you ふくしま」への思いは
「実は、4人のメンバーの中で僕だけ、福島との関係を思春期にこじらせていた。僕だけが故郷を嫌いでした。福島にいたときは、抑圧されていた気がしていました。僕が何かをしたいというのにブレーキをかけられている気がするというか。僕は芸大入るのに3浪したんですけど、周囲の人が『やめろ』『才能ないんじゃないか』と介入してきた。それから、自分が前に出るのを嫌がったり。そういうところがイヤだと言い続けてきました。去年、この歌を歌った時も、本当は『福島が好き』とか歌いたくなくて。ほかの3人が『福島が好き』って大きな口を開けて歌っていたときに、僕だけむにゃむにゃ歌っていたんです。でも、今回のレコーディングのときに生まれて初めて『福島が好き』って歌えました。自分の価値観が180度変わった瞬間でした。歌えば歌うほど変わっていって、今ではまぎれもなく好きになった」
――大震災の影響ですね
「地震と津波と、原発の事故と、風評被害まで入ってきて、福島だけが復興のスタートラインに立てていない。僕は最近、『福島を一生支えます』と言うようにしています。震災がくるまでは、『明日なんてこないかもしれない。今日撮るCMが最後かもしれない』と思って自分を奮い立たせてきました。将来のことを約束するのは大嫌いだったんです。そんな自分が福島に対して将来を約束しているのにも驚きました。そして、『長生きしたい』と思うようになった。人生観が完全に変わりました。阪神淡路大震災でも変わらなかったし、中越地震でも変わらなかった。やはり自分に降りかかってくると、その大きさは全然違うんだな、と思いました。自分はダメなやつだったな、と今、思います」
――家族や友人で被害にあわれた方はいますか
「家が壊れたとかいうのはありますけど、人的な被害はありませんでした。でも、福島で何年間かロックフェスをやってきたので、家族の心配だけじゃすまなくなってきた。3万人がなんらかの被害にあっているとすれば、その中に必ずファンがいるはず。さらにファンの親戚や家族だって被害にあっているはずです。直接の知り合いではないけど、自分を支えていた人たちが被害にあっていて、ほっとくわけにいかないのが職業としての部分だろうな、と(歌手の)福山雅治さんと話したりしました。仙台まで放送しにいって、リスナーたちと一緒に番組作ったこともあるのですが、その方が『4日間家に閉じ込められて、自衛隊に助けられた』という話を聞いても、他人事ではないという感じです」

――福山雅治さんとのコラボはどのように実現したのでしょうか
「震災以来、ずっと連絡を取っていたんですが、『(I Love You・・・を)ダウンロードしました。いい曲ですね。ギター弾かせてもらえませんか』と言ってきてくれた。福山さんが参加したことで、猪苗代湖ズの層が広がりました。通常だったら、福山さんとのコラボどうするかで何週間も議論になるはずだけど、メンバーも『この曲はみんなの力を合わせて参加してくれた人の志で輪が広がっていくものだから、今回はそういうことはしない』と気持ちを1つにしていました。この曲には著作権もレコード会社も存在しません。福山さんから『いろんな人が自由にこの曲を使って、参加して、寄付金が増えたりして、この歌がみんなのものになっていくのが大事なんじゃないですか』と言ってくれた。そうして、怒髪天さんや忌野清志郎さん、水前寺清子さんのバージョンに広がっていった」
――福島へは
「4月上旬に行きました。行ってみないと分からないことってたくさんあるだろうと。物資も持って行きたかったんですが、何が必要で何がいらないかを確かめたかった。いわきや郡山、福島など5か所の避難所へ行きました。実際行ってみると、『音楽に救われる』と言って喜んでくれる人たちもいました。もちろん、毛布をかぶって背中を向けて寝ているおじさんもいた。『支援って難しいな』と思いました。1つのものを渡せばいいものではないんですね。音楽がほしい人といらない人がいる。いらない人を優先すると、ほしい人には渡らないし、ほしい人に合わせると、いらない人に少し嫌な思いをさせてしまう。猪苗代湖ズを喜んでくれる人には、子供たちとお年寄りがいる。そこで、もっとお年寄りが喜ぶ人を連れてこなければと思い、東京に帰って探してみると、演歌系の知り合いがいなくて。フジテレビのCMで水前寺さんを知っていたので、甘えてもいいかなと連絡して聞いたら、すぐ『いいですよ』と引き受けてくださった」
――47都道府県の出身者が歌いつなぐ動画もYouTubeにアップされました
「プロモーションビデオ(PV)の力はすごく大きくて、歌だけだったらダウンロードもここまで伸びていないし、話題にもなっていなかったと思います。実はPVはすでに福島の風景とかレコーディング風景で仮に作っていたんです。が、後輩の前田康二があの曲をダウンロードして、『いい曲ですね。できることあったら行ってほしい』とメールしてきた。そこで『PVを作ってよ』とメールを返したら、一週間後に『できあがりました』と。彼が出演交渉をしてくれて、47都道府県の出身者があの歌を歌いつなぐというもの。福島出身者が福島への好きだというメッセージを送った歌だったのが、『全国が福島を心配している』という歌になった。みんなが自分の故郷を思い出して、福島のことをより心配になる。情報番組がPVをフルオンエアしてくれて、またダウンロードにつながった。さらに、熊本バージョンとか、郡山のタワーレコードで歌われたアンサーソングがアップされたりとか。あの歌には、広げやすいゆるさがあったのでしょう。みんなが参加できる大きな器のようなものになっていたのがポイントだったのかもしれません」
――今後は
「僕が作った『予定』という曲があって、『I LOVE YOU…』の続編のような曲になっています。福島に帰ったら何をしたいかということを言い合うだけなんですけど、岩手とか宮城とか全国で替え歌ができて、ユーチューブに投稿できたらいいなと。それから、毎年、秋にやっているイベントを今年は大がかりなものにしてやろうとしています。東日本出身のアーティストを中心に浜通り、中通り、会津地方の3か所でやりたいです」
by chirobitch
【ネット流行語大賞2011】…